4分の1 コアラ

旅行・まちあるきの記録をしようと思っていましたが細々と日記を書くことにします。

2月15日、マラケシュ ①

2020年、冬。モロッコ・スペイン・ポルトガルを旅した16日間の記録です。

 

Day 1 「これがマラケシュさ」

私たちを乗せたTK619便は、イスタンブールを離陸するとエーゲ海イオニア海、マルタ海峡、シチリア海峡の上空を通過し、アフリカの沿岸部を進んでいきます。アルジェリアの上空からは高速道路や大きな街も見え、この時点では、アフリカも地中海沿岸はほとんどヨーロッパみたいなものなんじゃないかと思っていたわけです。この時点では。(エンジンの影にちらっと写っているのは、アルジェリア・レリザン地方の湖バラージュ・ガルガーです。)

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アルジェリア上空を飛行中

ほぼ定刻通りにマラケシュに近づくと赤い街並みが見えてきて、モロッコに来たという実感が湧きます。興奮してきたな。

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マラケシュの街並みが見えてくる

この旅行、決してひとり旅というわけではないのですが、この時点ではまだ誰とも会っていません。やはり旅行の基本は現地集合ですよね。(本当に?)着陸後、入国審査を終えたバゲージクレームのところで5人が集まりました。いずれも日本人ですが、ロンドン・ヒースローからボルドー経由でやって来る者、ウィーンからミュンヘン経由でやって来る者、そしてサントリーニ島からアテネ経由でやって来る者と、さながら国際会議の様相を呈しています。

 

ここで日本円をモロッコ・ディルハムに交換。私たちは1人あたり1万円を800ディルハムに替えて残りを全員で共有する財布に入れましたが、結局これでは全く足りず、後からの合流組にかなり立て替えてもらうことに…。モロッコではほとんどクレジットカードが使えないので、多めに替えておくのが良さそうです。

 

私は(SIMフリー端末を買ったり、キャリアの販売店でロック解除をしてもらったりするのを面倒くさがったがゆえに)レンタルWi-Fiを持っていきましたが、他の4人は現地でSIMカードを買う必要があるということで、販売カウンターを探します。ところが、荷物検査ゲートを通過してロビーに出るとすぐに正面入口があり、カウンターは見当たりません。インフォメーションデスクに聞くと右側の通路を進んだ先の国内線コンコースにあるというので行ってみると、最大手のMaroc TelecomやOrangeの販売店が並んでいました。スタッフの方は親切で、お釣りが足りないことがわかると銀行へ行って崩してきてくれました。(初めから用意しておいてほしいけれども)

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メナラ空港

準備が整ったので外で出ると、名前や団体名の書かれた紙を持ったタクシードライバーやガイドがたくさんいましたが、自分で旅程を組み立てないと気が済まない私たちには縁がありません。歓迎がないのは寂しいな、などとぼやきながらタクシーを探します。とは言っても、探す必要は全くないわけですね。何十台もいるので。しかも私たちは5人組とそれなりに人数がいるので大人気です。「タクシー?」というバンド名でワールドツアーをしていると想像してみましょう、ああ、モロッコの空港にもこんなにファンが詰め掛けてくれている…。

 

タクシープールの入口には、オフィシャルな感じでタクシー料金表が貼られています。普通のタクシーは旧市街まで70ディルハム、大型タクシーは旧市街まで100ディルハム。いや素晴らしい。乗って安心、明朗会計。これは簡単だ、と運転手たちのもとへ向かうと「トゥーハンドレッド!トゥーハンドレッド!」。いやいやいや。あそこに100って書いてあるがな。「あそこに100と書いてある。100じゃないのか?」と尋ねると、「トゥーピープル!ワンハンドレッド!」誰かひとりが言っているならぼったくりで済みそうですが、誰に聞いても同じ条件。もう一度掲示を確認しても2人あたりの料金とはどこにも書いてありませんが、仕方がないので200ディルハムで交渉妥結。「弱者の譲歩は恐怖を所以とする」と言ったのはエドマンド・バークですが、モロッコにおいて弱者でしかない私たちは、恐怖というより疲労に負けてしまったのでした。

 

空港から出るとすぐ、この国でレンタカーを借りて旅行をするなどというのは夢物語だったと理解できます。バス・タクシー・自動車・馬車・バイク・自転車・荷車・歩行者が所構わず行き交うマルチモーダル空間。平面であれば誰がいつどこを使っても良い、という潔さを感じさせます。レベル5の自動運転車が実用化されたら可能になるという協調交通のシミュレーション映像がありましたが、あれを地で行っている人たちが世界には既にたくさんいるわけです。

 

あまりのスリリングな運転に驚きの声をあげる私たちに、運転手がフランス語でひとこと。「これがマラケシュさ!」ちなみに宿泊予定のホテルの住所を伝えると、アラビア語に書き直してくれました。「途中でこれを見せれば誰でも分かるだろう!」ありがとう、おじさん。

 

ホテルは旧市街の入り組んだ街路の奥にあるためタクシーでは行かれない、とのことで旧市街の中心、ユネスコ無形文化遺産にも登録されているジャマ・エル・フナ広場で降ろしてもらいました。治安という言葉を全ての辞書から消し去ったかのような、活気に満ち溢れた広場です。(後で調べると、2011年にはフランス人観光客8名を含む17名が死亡する爆弾テロ事件が起きたようですね。)

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昼のジャマ・エル・フナ広場

この写真の左奥に見えている、狭い通路に入っていきます。ご覧ください、この素晴らしい風景。何より、写真の右側の服屋のお兄さんが良い。

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マラケシュ旧市街

ここから道はどんどん狭くなっていき、10分ほど歩いてGoogleマップ上でホテルのピンが立っている場所まで辿り着いたものの、それらしき入口が見当たりません。そこにいるのは観光客らしき女性と、地元の若者。鬼の形相で若者に英語で「あなたは一体何歳なの?やめなさい!」と言い放つ女性。次の瞬間、女性の話を遮り、若者が迷っている様子の私たちに近づいてきます。「ホテル?」

 

先頭になっていた私は正直なところ無視しようと思っていたのですが、振り返ると、誰かがホテルの名前をその若者に見せたようで「カモン!」と狭いアーチの方へ私たちを誘導しています。初日にして早くも終わったか…、と覚悟を決め、仕方がないのでついて行くことに。いつでも引き返して走れるように5mくらい間をあけます。「ドントウォーリー!」と言った舌の根も乾かぬうちに「ハシシ?マリファナ?タイマ?」と勧めてきます。いやいや、辞書の全ての言葉をウォーリーに置き換えたくなるレベルですが。

 

そうこうしているうちに「ここだよ」と建物のドアを叩く彼。そこには目指していたホテルの名前が。なんだよ、案外いい奴なんじゃないか。中からホテルのスタッフが2人出てきて、私たちを迎えてくれます。大抵こういうのはガイドとホテルがグルになっているものだと思っていましたが、ホテルの人たちは彼を追い払おうとしています。「ギフトをくれよ!」と迫る彼。さて、どうしよう。僕は探してた、最高のギフトを、君が喜んだ姿をイメージしながら。頭の中で歌う桜井さん。そこで友人が「さっきの余りの小銭をあげればいいんじゃない?」と言うので、まとめて小銭を持っていた私が小銭を全部プレゼント。これだけ…?という顔をする彼に「メルシー!」と笑顔で別れを告げ、ホテルの人たちがドアをロック。こうして宿に辿り着いたのでした。

 

ロッコのゲストハウスの多くがそうであるように、こちらも開放的な中庭がロビーになっていました。パスポートを預けると、フランス語ネイティブらしき年配のスタッフが丁寧に全員の情報を宿帳に書き写していきます。ペンの走る音だけが響く静謐な時間が流れ、般若心経の写経会に立ち会うがごとく、私たちは長旅の疲れを解き放ち、心の平静を取り戻していくのでした。最後に各自署名をしたため、この時点で午後4時半。遅めの昼ごはんを食べるために再び外に出ます。

 

ホテルのスタッフにおすすめされたルーフトップのレストランへ。モロッコに来たらまあクスクスだよね、ということでビーフクスクス、そしてチキンタジンを注文。フレッシュオレンジジュースも20ディルハムと安いので頼みました。

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記念すべき最初のクスクス

腹ごしらえを終えた私たちは、いよいよ街に繰り出します。「ところで、この街コンビニはないよね?」と聞き、笑われる私。初日にして、洗顔フォームと消臭スプレーを持ってくるのを忘れたことに気がついたのでした。

 

このペースで書いていたらいつまでも終わらないのではという気持ちを胸に、今日のところはここまで。

Adios!