4分の1 コアラ

旅行・まちあるきの記録をしようと思っていましたが細々と日記を書くことにします。

眼鏡を買いに行った話

何かを踏んだらしき鈍い音が響き渡ったのは、昨晩のことでした。思い返してみても、床に眼鏡を置くことになったのは、そこに座布団を敷いて昼寝をしてしまったからなのか、それともすぐに掛け直すつもりだったのか、判然としないのですが。

そもそも昨晩はオンライン飲み会が予定されており、繋ぎながら食べる夕食は「飲み会なのだから身体に悪そうなものがいいだろう」という謎の判断基準でハンバーガーと決め、自転車に乗って近所のハンバーガー店まで出かけて行ってテイクアウトをしてきました。帰宅してローテーブルにMacBookを設置し、その隣に買ってきたバーガーやポテト、飲み物を並べ開始時刻となったのです。そういえば、薄暮の時間帯に自転車に乗るにあたって念の為に眼鏡を掛けていたので、この時点ではおそらくまだ耳にかかっていたことでしょう。

飲み会が始まって2時間ほどが経った頃、ふと気づくとテーブルの上のiPhoneは充電がほとんど無くなっていました。これはいけない、充電しなければ。コードを取るために立ち上がり一歩踏み出したところでした。あの音が響いたのは。

この眼鏡を作ったのは遡ること9年前。今では携帯キャリアの販売店になってしまった実家近くの眼鏡店を訪れ、人生初の眼鏡を手に入れたのです。「視界が広ければ何でもいい」「どれを掛けたところで見た目がよくなるわけでもない」という今から考えると驚きの姿勢で臨んだフレーム選び。高校の頃は授業中しか掛けていなかったので特に問題を感じなかったものの、大学に入ってからは人前であまり掛けたくない心理が働き、視力の漸進的な低下を感じながらも可能な限り裸眼を押し通す結果となっていました。

とはいえ、今朝目を覚まして、9年間も使い続けたパートナーが変わり果てた姿で横たわっているのを見るのは悲しいものでした。それでも、これを機に新しい眼鏡を作るべきではないか。一瞬にして過去の存在になってしまった眼鏡をケースに収めて家を出ました。

7時間後。今では新しい眼鏡とともにMacBookに向き合っています。2020年代は、あなたに頼みましたよ。

新しい眼鏡を買うことは、生活の大きな進捗。実務的な進捗に追われる毎日では、生活を前に進めるために時間を使うことにどこか後ろめたさを感じてしまいがちですが、今日は眼鏡を買った、それだけで素晴らしい1日だと思いませんか。

日記を書けない話

このブログを始めた目的は「旅行とまちあるきの記録をするため」でした。ところが現在の状況では遠出をするわけにもいかず、今から過去の旅行を振り返ってもなんだか虚しい気持ちになってくるので筆が進まず、旅行記はモロッコに着いた日で時が止まったまま。更新しないならTwitterのプロフィールからURLを削除しようと思いアプリから削除を試みたものの、なぜか空欄にした状態でプロフィールの更新ができず。かといって無関係なURLを載せるのもおかしい。Twitterにぶら下がったままのブログの存在が頭の片隅に引っかかったまま2ヶ月が過ぎてしまいました。

ならば普通の日記を書こうかというわけです。ずっと家にいる間に始めて継続しようと思ったことがいくつかあり、予想通りその全てが長続きしなかったという話。

1つめは、朝起きたら最初にBBCニュースを聞くこと。Spotifyで30分にまとめられたポッドキャストが1日2回更新されるので、最近英語を聞く機会もめっきり減ってしまったしちょうどいいなあと思ったのですが、5日くらいしか続きませんでした。これには簡単で明快な理由があるものの、改善する可能性がないので諦めています。朝一番というタイミングを変えれば話は変わってくるかもしれません。

2つめは、家の中で体操をすること。昔からの癖で家にいる間はほぼテレビを垂れ流しているわけですが、午後の中途半端な時間はどうも面白い番組がない。ワイドショーを見たくないのでとりあえずNHKにチャンネルを合わせていると、毎日14時や15時にテレビ体操が始まるではありませんか。これは運動不足の解消にちょうどいいと必ずやっていることを中断して体操をしていたものの、ある時たまたま昼ごはんの時間に重なってしまったのです。今はさすがに体操するタイミングではないな…と食べながらテレビの中で体操している人々を眺めたのが運の尽き。2日後くらいにまた同じことが起きたところで気持ちが切れてしまい、それ以降はほとんどテレビで流れる体操の音楽を無視することに。(ありがたいことにテレビ朝日はワイドショーをやらずに過去の刑事ドラマの再放送を流してくれていたので、リアルタイムで見たことのないドラマを断片的に見ることができました。あとは16時20分からの「ひよっこ」再放送も。)

3つめは、0時に寝ること。4月の2週目くらいは確かに0時就寝・6時起床がうまくいっていました。しかし6時間睡眠をしばらく続けるうちに少しずつ負債がたまり、ある日昼寝をしてしまったことで全てが台無しに。今は夜明けとともに寝て昼前に起きるリズムが定着しています。この偽りの安定も近く崩れるでしょう。

最後に、日記を書くこと。毎日何か記録を残さねば…という焦燥感は以前からあり、日記がわりの徹底的なライフログがある程度機能していた時期はあったものの、外出機会が少なくてそれも難しくなりました。いつかのオンライン飲み会で誰かに話した通り、どうしてもSNSを日記的に使うことができないので、ネットでB5サイズの方眼のCampusノートを購入。毎日寝る前に日記を書こうと考えました。届いたノートを目立つところに置き、あとは書くだけの状態を整えてからの3週間でノートに書かれた文字の数は未だ0。始まる前から頓挫する様子はさながら都市計画道路のよう。

日記が書けないということの問題の源泉は、他の長続きしない活動とはちょっと違うところにあるような気がするのです。こうして文章を書きながらも忍び寄ってくるのは、言葉にした途端あらゆる感情が嘘になってしまうような感覚。そして、この感覚だってきっといつの時代かの偉い人がすでに言っていて、それを後追いしているだけのこと。そう考えると、人生の記録手段としてのライフログに逃げていたのは、事実しかそこに残らないからなのでは?

この文章には教訓も結論もありません。日記なので。何も起こらず、何も生み出さない文を書き連ねることに対する恐怖を少しずつ取り払うことで、見えてくるものがあるのかもしれない。そんな期待くらいは持っていてもいいのでしょうか。

2月15日、マラケシュ ②

2020年、冬。モロッコ・スペイン・ポルトガルを旅した16日間の記録です。

 

Day 1 「これがマラケシュさ」

レストランを出て、旧市街を歩きます。小さな広場には多様な品物を売る人々が店を出していて、エスカルゴのような貝を立ち食いしていました。

 

ジャマ・エル・フナ広場へは戻らず西の方へ進んでいくと、道路上に品物を並べて商売を繰り広げる人の数が減り通行できる幅がやや広くなるので、バイクが猛スピードで駆け抜けていきます。石畳の通りはバイクからの排ガスで煙っていて見通しが悪いほど。明日までの飲み物を確保するため、ペットボトル飲料を売っている店を探すと、割とすぐに見つかりました。「Hawaii tropical」という炭酸飲料を手に取り、店主らしき男性に値段を聞くと、「ここに書いてあるよ」とペットボトルのラベルを指差して教えてくれました。なるほど、店ごとに値段を決めるのではなくメーカーが販売価格を表示する仕組みは理に適っているなあ、と感心。1Lで7ディルハムと安かったので迷わず購入しました。ファンタオレンジにココナッツを加えたようなフレーバーで、第一印象は「なるほど…」という感じ。飲んでいるうちに美味しさが分かってきます。(Hawaiiはコカ・コーラ社がモロッコ限定で販売しているとのこと。)

 

時期が時期だけに、この時点では日本人どころかアジア系の人をほとんど見かけていなかったのですが、各自飲料を入手して店を出たところで、日本人女性が1人で歩いているのに出会いました。強い。

 

そのまま石畳の細い路地を西へ向かうと、小さなアーチをくぐってララ・ファティマ・ザラ通り(Rue Lalla Fatima Zahra)という名前の幹線道路に辿り着きました。この通りを南へ進むと、世界遺産でもある街の象徴、クトゥビア・モスク(Koutoubia Mosque)があります。高さ77mのミナレットに登ってみたいな…と周囲を歩き回るも開いている入口は見当たらず。神聖な空間であり、異教徒が中に入るのは許されていないようでした。

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クトゥビア・モスクのミナレット

そのまま、隣接するララ・ハスナ公園(Parc Lalla Hasna)へと抜けました。王女の名前を冠したこの公園には春になると美しい薔薇が咲くようですが、この時期ではまだまだ。ベンチでは地元の人たちが歓談しており、ネイマールのユニフォームを着ている若者も。このあたりが旧市街メディナの西端で、公園の西側に位置するラ・マムーニア(La Mamounia)やソフィテル・マラケシュ・パレ・インペリアル(Sofitel Marrakech Palais Imperial Hotel)といった5つ星ホテルから先は新市街ゲリーズとなっています。

 

日暮れも近いことから、私たちは旧市街に戻り南側のロイヤル・パレス方面を目指して歩くことに。とにかく幹線道路を渡るのが難しく、渡ろうとしている地元の人についていくのが精一杯でしたが、当然ドライバーたちも観光客を轢きたくはないので、「渡れ」と手で合図をしてくれたり、渡り始めると減速したりしてくれました。

 

突き当たったところがフェルブランティエ広場(Place des Ferblantiers)で、ここに面してレストランのオープンテラスの数々が。「コロナ!チャイナ!」と熱烈な歓迎を受けながら広場を進んでいくと、城門のような出で立ちの赤っぽい壁が見えてきました。写真の奥に見えている門をくぐると、ベリマ通り(Rue de Berrima)に出ます。その向こうにはエルバディ宮殿(Palais El Badii)があるのですが、残念ながら営業時間外でした。(8時から17時のようです。)

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少年たちはサッカーに興じていた

私たちはロイヤル・パレスを目指していたので(今になってグーグルマップを確認すると、27件しかレビューがないので中には入れないのだろうと分かるのですが…)城壁に沿ってベリマ通りを南下することに。途中には近代的な集合住宅群があり、調剤薬局の看板を見ながら突き当たったバブ・エル・アルダー通り(Rue Bab El Arhdar)を右折するとロイヤル・パレスの正門らしき場所へ出ます。ここへ来て、物々しい警備員、閉じた門、1台も車が停まっていない駐車場から中には入れないことを悟りました。それにしても、人生で初めてのアフリカの夕焼けは綺麗でした。街灯の独特なイルミネーションも味があります。

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ロイヤル・パレスの南側から見た夕焼け

この時間から宮殿などに入場して観光するのは難しいだろう、そしてお腹が空いてきたということで、ジャマ・エル・フナ広場に面したレストランで夕食を食べるべく中心部へ戻ることに。ロイヤル・パレスの門の前で記念写真を撮り、車1台分の幅しかない狭い門を対向車に気をつけながら通過して、北に向かいます。するとここにも大きな門が。もしかしたらここからなら中に入れるかも…と思い歩いていくと、すぐに警備兵から「向こうへ回れ!」と指示され敢えなく断念し、案内の通り細い門からカスバ地区へ。このあたりはホテル街でもあり、閑静な雰囲気でした。

 

入り組んだ街路を抜けると、お土産屋の立ち並ぶトゥグマ通り(Rue Tougma)に出ました。実は先ほどフェルブランティエ広場に向かう際にも一度通っていたので、その時に見た、各国の国旗を甲羅にプリントされた小さな亀たちにもまたお目にかかりました。フェルブランティエ広場からジャマ・エル・フマ広場へと続く狭い道はリアド・ジトゥン・ラクディム(Riad Zitoun Lakdim)と呼ばれていて欧米からの観光客も多いのですが、その分怪しげな風貌の地元民の姿も。中盤に差し掛かったころ、「ヘーイ!チャイナ!」と囃し立てながら数人の若い男が道を塞いできました。こちらも常に警戒していたのですぐに「おい!」と大声で応酬しますが、笑いながら私が手に持っていたペットボトルを奪い取ろうと近づいてきます。すかさずペットボトルを振り上げ叩きつけるようなポーズを取ると、「ワーオ!」と面白がるように声をあげて去っていきました。何も盗られなくてよかったものの、ひとりで歩いていたら厳しかったな、という印象でした。

 

そうこうしているうちに(ヨーロッパからの観光客らしき人々のすぐ後ろをついていくようにして)ジャマ・エル・フナ広場に辿り着きました。ゲストハウスのスタッフお勧めのローカル料理レストランの1つ「Toubkal」へ。クスクスやタジン鍋が30〜40ディルハム前後と安く、店内は主に観光客で賑わっていました。アトラス山脈に位置するモロッコ最高峰のトゥブカル山の名前を冠しているので、日本でいうと「富士」という店になるわけですね。いかにも観光客向けな感じはありますが、それはそれで安心感があります。テーブルの下では1匹の猫がうろうろ。パンなどをもらっているのでしょうか。

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挽肉のタジン

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椅子の下から食べ物を窺っている猫さん

広場の印象は昼間ともガラッと変わり、たくさんの露店と行き交う人々、暖色系の明かりに包まれ情緒的な雰囲気に。旧市街メディナの主要なアーケードであるダーブ・ダバチ通り(Derb Dabachi)を通って宿へ向かい、モロッコでの最初の1日が幕を閉じました。(とはいえ、宿に着いてからも、ダブルベッドに寝ざるを得ない人を決めるためのあみだくじ、スタッフへの洗濯の依頼、トイレや洗面台との仕切りのない設備に苦戦し床を水浸しにしたシャワーなど、マラケシュの夜はまだまだ長かったのです。)

 

どんなに予想外のことが起きても「これがマラケシュさ!」と笑い飛ばす余裕が出るまでには、もう少し時間が必要なのでしょう。初めて訪れる土地での余裕のなさは旅行の醍醐味ではあるのですが。さあ、2日目はマラケシュから鉄路でカサブランカへ向かいます。

Adios!

2月15日、マラケシュ ①

2020年、冬。モロッコ・スペイン・ポルトガルを旅した16日間の記録です。

 

Day 1 「これがマラケシュさ」

私たちを乗せたTK619便は、イスタンブールを離陸するとエーゲ海イオニア海、マルタ海峡、シチリア海峡の上空を通過し、アフリカの沿岸部を進んでいきます。アルジェリアの上空からは高速道路や大きな街も見え、この時点では、アフリカも地中海沿岸はほとんどヨーロッパみたいなものなんじゃないかと思っていたわけです。この時点では。(エンジンの影にちらっと写っているのは、アルジェリア・レリザン地方の湖バラージュ・ガルガーです。)

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アルジェリア上空を飛行中

ほぼ定刻通りにマラケシュに近づくと赤い街並みが見えてきて、モロッコに来たという実感が湧きます。興奮してきたな。

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マラケシュの街並みが見えてくる

この旅行、決してひとり旅というわけではないのですが、この時点ではまだ誰とも会っていません。やはり旅行の基本は現地集合ですよね。(本当に?)着陸後、入国審査を終えたバゲージクレームのところで5人が集まりました。いずれも日本人ですが、ロンドン・ヒースローからボルドー経由でやって来る者、ウィーンからミュンヘン経由でやって来る者、そしてサントリーニ島からアテネ経由でやって来る者と、さながら国際会議の様相を呈しています。

 

ここで日本円をモロッコ・ディルハムに交換。私たちは1人あたり1万円を800ディルハムに替えて残りを全員で共有する財布に入れましたが、結局これでは全く足りず、後からの合流組にかなり立て替えてもらうことに…。モロッコではほとんどクレジットカードが使えないので、多めに替えておくのが良さそうです。

 

私は(SIMフリー端末を買ったり、キャリアの販売店でロック解除をしてもらったりするのを面倒くさがったがゆえに)レンタルWi-Fiを持っていきましたが、他の4人は現地でSIMカードを買う必要があるということで、販売カウンターを探します。ところが、荷物検査ゲートを通過してロビーに出るとすぐに正面入口があり、カウンターは見当たりません。インフォメーションデスクに聞くと右側の通路を進んだ先の国内線コンコースにあるというので行ってみると、最大手のMaroc TelecomやOrangeの販売店が並んでいました。スタッフの方は親切で、お釣りが足りないことがわかると銀行へ行って崩してきてくれました。(初めから用意しておいてほしいけれども)

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メナラ空港

準備が整ったので外で出ると、名前や団体名の書かれた紙を持ったタクシードライバーやガイドがたくさんいましたが、自分で旅程を組み立てないと気が済まない私たちには縁がありません。歓迎がないのは寂しいな、などとぼやきながらタクシーを探します。とは言っても、探す必要は全くないわけですね。何十台もいるので。しかも私たちは5人組とそれなりに人数がいるので大人気です。「タクシー?」というバンド名でワールドツアーをしていると想像してみましょう、ああ、モロッコの空港にもこんなにファンが詰め掛けてくれている…。

 

タクシープールの入口には、オフィシャルな感じでタクシー料金表が貼られています。普通のタクシーは旧市街まで70ディルハム、大型タクシーは旧市街まで100ディルハム。いや素晴らしい。乗って安心、明朗会計。これは簡単だ、と運転手たちのもとへ向かうと「トゥーハンドレッド!トゥーハンドレッド!」。いやいやいや。あそこに100って書いてあるがな。「あそこに100と書いてある。100じゃないのか?」と尋ねると、「トゥーピープル!ワンハンドレッド!」誰かひとりが言っているならぼったくりで済みそうですが、誰に聞いても同じ条件。もう一度掲示を確認しても2人あたりの料金とはどこにも書いてありませんが、仕方がないので200ディルハムで交渉妥結。「弱者の譲歩は恐怖を所以とする」と言ったのはエドマンド・バークですが、モロッコにおいて弱者でしかない私たちは、恐怖というより疲労に負けてしまったのでした。

 

空港から出るとすぐ、この国でレンタカーを借りて旅行をするなどというのは夢物語だったと理解できます。バス・タクシー・自動車・馬車・バイク・自転車・荷車・歩行者が所構わず行き交うマルチモーダル空間。平面であれば誰がいつどこを使っても良い、という潔さを感じさせます。レベル5の自動運転車が実用化されたら可能になるという協調交通のシミュレーション映像がありましたが、あれを地で行っている人たちが世界には既にたくさんいるわけです。

 

あまりのスリリングな運転に驚きの声をあげる私たちに、運転手がフランス語でひとこと。「これがマラケシュさ!」ちなみに宿泊予定のホテルの住所を伝えると、アラビア語に書き直してくれました。「途中でこれを見せれば誰でも分かるだろう!」ありがとう、おじさん。

 

ホテルは旧市街の入り組んだ街路の奥にあるためタクシーでは行かれない、とのことで旧市街の中心、ユネスコ無形文化遺産にも登録されているジャマ・エル・フナ広場で降ろしてもらいました。治安という言葉を全ての辞書から消し去ったかのような、活気に満ち溢れた広場です。(後で調べると、2011年にはフランス人観光客8名を含む17名が死亡する爆弾テロ事件が起きたようですね。)

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昼のジャマ・エル・フナ広場

この写真の左奥に見えている、狭い通路に入っていきます。ご覧ください、この素晴らしい風景。何より、写真の右側の服屋のお兄さんが良い。

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マラケシュ旧市街

ここから道はどんどん狭くなっていき、10分ほど歩いてGoogleマップ上でホテルのピンが立っている場所まで辿り着いたものの、それらしき入口が見当たりません。そこにいるのは観光客らしき女性と、地元の若者。鬼の形相で若者に英語で「あなたは一体何歳なの?やめなさい!」と言い放つ女性。次の瞬間、女性の話を遮り、若者が迷っている様子の私たちに近づいてきます。「ホテル?」

 

先頭になっていた私は正直なところ無視しようと思っていたのですが、振り返ると、誰かがホテルの名前をその若者に見せたようで「カモン!」と狭いアーチの方へ私たちを誘導しています。初日にして早くも終わったか…、と覚悟を決め、仕方がないのでついて行くことに。いつでも引き返して走れるように5mくらい間をあけます。「ドントウォーリー!」と言った舌の根も乾かぬうちに「ハシシ?マリファナ?タイマ?」と勧めてきます。いやいや、辞書の全ての言葉をウォーリーに置き換えたくなるレベルですが。

 

そうこうしているうちに「ここだよ」と建物のドアを叩く彼。そこには目指していたホテルの名前が。なんだよ、案外いい奴なんじゃないか。中からホテルのスタッフが2人出てきて、私たちを迎えてくれます。大抵こういうのはガイドとホテルがグルになっているものだと思っていましたが、ホテルの人たちは彼を追い払おうとしています。「ギフトをくれよ!」と迫る彼。さて、どうしよう。僕は探してた、最高のギフトを、君が喜んだ姿をイメージしながら。頭の中で歌う桜井さん。そこで友人が「さっきの余りの小銭をあげればいいんじゃない?」と言うので、まとめて小銭を持っていた私が小銭を全部プレゼント。これだけ…?という顔をする彼に「メルシー!」と笑顔で別れを告げ、ホテルの人たちがドアをロック。こうして宿に辿り着いたのでした。

 

ロッコのゲストハウスの多くがそうであるように、こちらも開放的な中庭がロビーになっていました。パスポートを預けると、フランス語ネイティブらしき年配のスタッフが丁寧に全員の情報を宿帳に書き写していきます。ペンの走る音だけが響く静謐な時間が流れ、般若心経の写経会に立ち会うがごとく、私たちは長旅の疲れを解き放ち、心の平静を取り戻していくのでした。最後に各自署名をしたため、この時点で午後4時半。遅めの昼ごはんを食べるために再び外に出ます。

 

ホテルのスタッフにおすすめされたルーフトップのレストランへ。モロッコに来たらまあクスクスだよね、ということでビーフクスクス、そしてチキンタジンを注文。フレッシュオレンジジュースも20ディルハムと安いので頼みました。

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記念すべき最初のクスクス

腹ごしらえを終えた私たちは、いよいよ街に繰り出します。「ところで、この街コンビニはないよね?」と聞き、笑われる私。初日にして、洗顔フォームと消臭スプレーを持ってくるのを忘れたことに気がついたのでした。

 

このペースで書いていたらいつまでも終わらないのではという気持ちを胸に、今日のところはここまで。

Adios!

2月14日、イスタンブール

2020年、冬。モロッコ・スペイン・ポルトガルを旅した16日間の記録です。

 

Day 0 「ビリヤードお好きなんですか?」

 

昨年の秋、予てより念願だったモロッコへの旅行が決まり、宿を押さえ、鉄道の時刻を調べ、航空券を手配してもなお、「本当に行けるのか?」という不安が消えることはありませんでした。

 

一昨年の目標として掲げていた富士登山は荒天で流れ、フルマラソンはエントリー後に発表された面接の日程が重なっていたため走れず。過去のさまざまな経験から、長年の計画はだいたい破綻するという感覚を持っていたのです。

 

とはいえ、出国3日前には徳島出張、前日にはミーティング2本と送別会、当日も午後にミーティングと慌ただしく過ごしている間に出発の時間は近づき、大学で先生たちからの見送りを受け、メトロと山手線を乗り継いだあと日暮里からアクセス特急に乗り込んで成田空港に着いたのは2月14日の20時半でした。ここでは早速サブウェイで食事()。新型コロナウイルスの影響で、中国からの団体での観光が禁止されたばかりだったこともあり、コンコースも飲食店もかなり閑散としていました。(この時点では、日本国内での感染者はほとんどクルーズ船内に限られており、中国への渡航をしなければ全然大丈夫という空気感だったのを覚えていますが、その後はみなさんご存知の通り…)

 

まずは、23時成田発のターキッシュエアラインズ53便でイスタンブールへ。機内ではモロッコ旅行の予習として、ハンフリー・ボガートイングリッド・バーグマン主演の不朽の名作映画「カサブランカ」(1943)を観ようと意気込んでいたものの、ヘッドホンからはピュルピュルと変な音がするばかりで何も聞こえず。字幕にも対応していないので鑑賞を諦め、内蔵のビリヤードゲームを延々とプレイしていました。2回目の機内食が出るころには隣席の見ず知らずの方に「ビリヤードお好きなんですか?」と聞かれる始末。すみません、私、ビリヤードの下手さには定評があるんです。

 

到着後は、乗り継ぎ時間が5時間ほどあったのでドネルケバブ飲むヨーグルト(無類の飲むヨーグルト好きのため、これまでに行ったすべての国で現地の飲むヨーグルトを飲んできました)を平らげました。飲むヨーグルトの写真は今後も幾度となく出てきますよ。

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このイスタンブール新空港、2018年にオープンして今も滑走路の拡張が続く新しい空港で、計画中の全エリアが完成すると世界最大になるそうで、とにかく広くて綺麗なんですよね。Wi-Fiが1時間で切れて有料になるので仕方なく課金し、スタバで書類を作成しつつ搭乗時刻を待ちます。(よく考えてみると、世界中で使えるレンタルWi-Fiを持っていたので、それを使えばよかったのです。これに気づいたのは帰りの飛行機でスペインを出た時でした)

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そしていよいよ搭乗口へ向かい、マラケシュ・メナラ空港行きの10時40分発ターキッシュエアラインズ619便に乗り込みました。

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まだモロッコに着いてもいないのに長くなってしまいました。0日目はこのあたりで終わりにします。

Adios!